2026年3月16日
「利尻山登攀史」の在庫があと一冊になったと会長からメールが入った。2018年8月に数百冊作製してから7年の月日が経った。あと一冊残りがあるとはいえ喜ばしい限りだ。
思えは1995年頃より、利尻山におけるアルパインクライミングの歴史を調べ始めたのだが、資料の少なさや関係各山岳会の多さに驚いた。当時はインターネット等あるわけもないので、初登攀記録だけでも完璧に収集出来るのか諦めかけた。
そんなある日、会員の一人に当別金沢で斎藤さんという方が、山岳資料だけを集めた金沢文庫を開いてあることを聞きおよび、伺った。お宅に行ってみて驚いた。大きな部屋の壁全面にビッシリと山岳資料が収められていた。ほかにも2階にあるという。利尻山登攀記録を探してあることを伝えると、初登攀記録はほぼ全てあるという。
喜んだのは良いのだが、膨大な資料からどう探せばよいのか途方に暮れたが、地道に時間を掛けて探すしかない。
その日はあっという間に過ぎ、再度伺う事を伝えて失礼した。次に20キログラムを超える業務用コピー機を会社から借りて再度訪れた。それから数ヶ月の間に6回を越えたかもしれない。基本的な初登攀記録資料は揃ったが、それだけではつまらない。単独登攀、継続登攀などやルート図、年表と登攀者名が無ければ歴史の記録とはならないのだ。調べた結果をどうするのかは当然考えたが、マイナーな分野ゆえに出版しても売れないと踏んだ。当時はワープロが全盛期であり東芝のルポを駆使して打ち込んだ。
1995年当時は、ようやくWindows95が発売されたパソコン元年だから、当然インターネットなどない。
関係各所に電話連絡して追加の記録を手に入れたのだが、完璧とまではいかなかった。そのため出版までは出来ないので、コピーによるハンドメイドで十数册作製し、関係者に配布するに終わった。そのことは時が過ぎ、すっかり忘れ去っていた。
2016年4月に函館山南壁にクライミングで出かけた折に旧利尻山登攀史の話が出てきた。あれから20年あまり経ち、重大な新しい記録があるので、新たに作り直して出版したらどうかと提案された
今さらとも思ったのだが、どうせヒマな年金生活者だし、考える事にした。次の日、何ということか私がリードに失敗し、グランドフォールしたのだ。左足踵が粉砕骨折という重傷を負った。同行者の力により自力脱出し病院に入院、三か月が経ったのだ。
つまりベッドの上で考える時間が無限に出来たことになる。出かけることは出来なくても、今はノートパソコンとWi-Fiがあるのだ。思いつく関係各所に電話やメールで記録の調査と提供を呼びかけた。
退院後、会の総会で本の出版を決議して頂いた。あとは元ネタの旧利尻山登攀史を洗い直し、今回集めた記録を整理、選別、編集となった。様々な意見があり、基本的な形が出来たのは2018年の2月となった。
利尻山という単独の山で、しかも超マイナーなアルパインクライミングの歴史本など、冷静に考えると売れるはずがない。そこで一番悩んだのが何冊作るのかということであった。資金は限られているので、オンデマンドで編集、校正全てを自力でやる事にした。
作成するにあたり、印刷会社の担当者と打ち合わせすると、100册でも500册でも1000册作っても基本的に50万円から80万円だと伝えられ悩んだ。
300册で50万円、1000册で80万円となる。爆売れで困るなら当然1000册作りたいが、超マイナーなクライミングの歴史本は何冊売れるかは分からない。もし100册しか売れなかったら900冊の不良在庫となり、悪い夢を見そうな気がした、
取らぬ狸の皮算用ではあるが、綿密に計算し300册という控えめの数字になった。確実に売れたり、記録を提供していただいた方に配る分を考えても200册にやっと届くだけになると考えていた。
2018年8月に出版したら、意外に売れるではないか!ROCK&SNOWに紹介されたので260冊までは早かった。しかし、それから299冊までは7年の歳月が過ぎたのだ。やはり特殊な本なのだ。本当に1000冊も作らなくてよかった。でもあと一冊だ。
それで責任が終わる。